連休明けの雨の日

春の陽気に誘われて、フラフラで歩いていた4月。
GWも終わって、ホッと一息入れて今日は朝から雨。
最近はウォーキングに参加することが多くなって、落ち着いてパソコンの前に座ることがなくなっている。
ネットの検索もついついスマホで済ませてしまう。
FBやインスタグラムでちょっと発信なんてことも便利でそちらを使ってしまう。
なのですが、時々FBのコメントやいいね!が何となく煩わしいと感じる。
大勢の人に見てもらったからって、どうなんだろう?って思いがする。
もう少し丁寧に自分の言葉で思い出を記録しておきたい。
読者の数ではなく、気持ちを共感してもらえる人に読んでほしい。
なんてことを感じています。

とは言えここは私の忘備録。
今年に入ってから始めた「伊勢本街道 踏破ウォーク」の4カ月が済んだところで、まとめの記録を。
三年間琵琶湖一周ウォークを共に歩いた仲間4人で大阪から伊勢神宮までの170キロほど「伊勢本街道」と呼ばれるお伊勢参りの街道を歩くことにしました。
リーダーは伊勢街道を何度も歩いたY氏。その後に続くひよこウォーカーは長身のS君と可愛いKu−ちゃんと私。
住まいも年恰好もてんでんばらばら。それでも気の合う仲間です。
計画は数カ月前、Y氏の手配で予定表や地図をいただいて始めました。
1回目は1月7日「玉造神社」をスタートして深江稲荷→平岡→生駒山暗峠→南生駒までの22キロ余。

玉造神社 お伊勢参りをする人はここで旅の安全を祈願しました。秀吉ゆかりの鳥居は今も阪神淡路大震災の傷跡を残していました。

町中の要所要所に碑があります。時代を越えて現代に伝わっています。

枚岡駅を越えた頃から石畳の峠道に入ります。1月の肌寒い日でしたが、急な坂道を登り始めると季節を疑うような汗、汗、汗でした。国道(酷道)308号は車1台が通るのがやっとの狭くて急な道です。

汗をカキカキ登り切ったところが暗峠。昔はここに旅籠があったそうです。

暗峠茶店の横のみちを数100メートル行ったところに展望台があります。そこからは大阪の町を一望。改めてここまで歩いて登ってきたのだと実感しました。

この日のゴールは近鉄電車・南生駒駅

続きはまた明日。
2回目の2月11日は南生駒から榁木峠→赤膚山→奈良三条通り→南円堂→帯解までの20キロ弱。

南生駒からの道の所々にこの道しるべがかけられています。

急な登り道を上っていくと榁木峠(むろのきとうげ)更に行くと追分神社。
ここが大和郡山へ行く道との分岐点。

道沿いに立派な木造の三階建てのお屋敷。その隣に赤膚焼きの窯元があった。
本当ならゆっくり見学したいところ、ぐっとこらえて先に進みます。

いよいよ奈良の中心地に到着。奈良駅のそばの常夜灯も伊勢へ行く人の道しるべ。
このまま進んで、興福寺・南円堂。
西国三十三観音霊場、きちんとお参りをして御朱印をいただきました。

奈良町を南へ南へ。
お砂糖屋さんの前でゆるキャラちゃんと出会いました。ならまちこちゃん。記念写真は全員の集合写真。

奈良の町中を歩くとお家の角々に「イワシの頭とヒイラギ」節分のあと我が家でもこんな飾りしていた時もありました。懐かしいのと嬉しいのと。残しておきたい風習です。

この日のゴールの帯解寺。
ここは安産祈願のお寺。若いカップルや親子ずれの姿が目立ちました。

3回目の3月25日は帯解から天理→桜井→大和朝倉→長谷寺までの13キロ余。
行程の多くを旧街道筋を歩くため、気になるところがいっぱい。
初めての道は興味深々のよそ見ばかりの道でした

私たちの歩いた道は「上街道」とか「上ツ道」と呼ばれる奈良盆地を南北に縦断する道です。その面影がいたるところに残っています。
「馬出の町並み」

この辺りに荷物を運ぶ人馬が往来していたようです。

市座神社近くに残る丹波市。昔のアーケード?この屋根の下で毎月決まった日に市が経っていたそうです。

昼食は芭蕉を偲んで「草臥れて 宿かる此や 藤の花」
草臥れたのも、藤棚の下も同じでした。

ちょっと寄り道をして桜井にある「仏教伝来の地」
大和川を上って仏教はこの地に辿りつきました。


不思議な文字のかかれた杖が軒下に飾られていました。気になったので調べてみました。
簡単に言うと道教の名残とかで、庚申の日に三戸(さんし)の虫が天に昇って閻魔様に告げ口しないように夜通し眠らないで月の出を待つ日の出を待つような行事があり、今もそのそのしきたりが残っているのだそうだ。
何年も変わらずに残っているのが素敵なことだと思う。

このしゃもじも同様に家々の軒先に飾られていました。
八十八歳になった人が長寿を祝って近隣の人に配るようです。それをもらった人はあやかることの出来るようにと飾るそうです。
八十八は米、命の大切さ、農作物の恩恵、色々なことに感謝しているのでしょうね。

十二柱神社。伊勢本街道を歩くというと、先に歩いて人はみなこの神社の事を「見ておいで」といいます。

その訳は狛犬さんを下で支えている、四人の力士たち。
一二柱とは古代の神様が七神あわせて地紙が5神祀られているからだそうです。
地名も出雲、島根の出雲のかかわりがあるのかも、遠い昔が今に続いている土地でした。

4月は29日に長谷寺をお参りするところから始めました。
ここも三十三ヶ所西国観音霊場、お参りをして御朱印をいただきました。
ボタンの盛りは済んでいましたが、新緑の柔らかい緑が目にも爽やかでした。


二十歳のころ、当時西国三十三か所をお参りしていた母のお供で参りました。
母を感じながらのお参りでした。

道標の文字を読みあぐねていると、向かいにある「あぶらや」という元旅籠(今は記念館)の中から係りの人が出てきて何やかやと説明してくれました。
この地を愛し、伊勢街道を大切にしている心が伝わってきます。



大きな常夜灯、この先お伊勢さんまで二十二基あるのだそうです。
私たちも二十二基を訪ねて歩きます。

7日から書き始めて中断して書き終えたのは21日
昨日5月の伊勢本街道を歩きました。
その話はまた数カ月先にまとめて更新します。
長々の忘備録、読んでくださった方には御礼申し上げます。