いい夫婦の日
あちらこちらでその面影を辿ることができる。
中立売通で左折、北野の商店街を歩く。
ここを歩くとチンチン電車が通っていた事を思い出す。
北野天満宮の前にでた。観光客も増えている。
余り人目を引いていないが「お別れ地蔵」がある。
行列のできる茶屋のとなりにある。
廃仏毀釈で行き場を失った地蔵が小浜から背負われて京にたどり着き、ここで地元の人に祀られた。当時は火葬場に通じる道で葬列の人の別れの辻でもあったらしい。だから「お別れ地蔵」なのだとか。
お別れ地蔵から少し西に行き、紙屋川を渡る。 お首地蔵がある。
衣笠村の金閣寺と竜安寺への分かれ道。辻斬りにあった人を弔い安全を願った。辻斬りがなくなり地蔵の首もなくなったと言う。
おかめさんの像を見ながら「ここの大工の奥さんは偉い人なんやね」
石像寺の釘抜き地蔵
苦抜きが釘抜きに転じたとも。弘法大師の創建と言われる。またまた千本通を北へ。
引接寺(千本閻魔堂)の地蔵池。
船形地蔵と言われるのは地蔵の光背の形が船のへさき形だから。お地蔵さまは三途の河から私たちを船で救ってくれるのかも?
紫式部の供養塔
閻魔堂の近くに廬山寺通がある。昔この辺りに廬山寺があった名残りで、紫式部の住まいのあった所。だから紫式部の供養塔。
閻魔堂は閻魔さまもいらっしゃる。だから冥府への通い道。小野篁も祀られている。
歯の地蔵さんと呼ばれる歯形地蔵。
ここはやきもち焼きの大工の奥さん、浮気相手と思い込み噛みついたのはお地蔵さま。以来歯の地蔵さま。肩には薄っすら歯形が残るとか?
上品蓮台寺
もみじがきれい。
通称十二坊は観光寺院ではないがご本尊はお地蔵さま。春の桜、秋の紅葉が美しい。
今日歩いた辺りは昔は町の外れ。蓮台野と呼ばれた葬送の地。だから閻魔さまもお地蔵さまもおいでになる。
年寄り夫婦の散歩にはもってこいの道でした。
久々のロングウォーク
午前中に加古川ウォーキング協会の例会に参加。
以前加古川ツーデーマーチで歩いた平荘湖を見ながら歩いた。
快晴の平荘湖は記憶のままだった。
地図を頼りに一人、先を急ぐ。ゴールした後、歩友(友も言うより歩きの師匠)と合流して第二部を歩く予定だ。
こちらの方がメインと言っても良かった。
2人であれこれ話しながら登山口へ。
ここでもう一人合流、3人の賑やかウォークの開始。
赤松氏の城跡だそうで、かなりの規模の城のようですが、目下のところ市民の憩いの場、観光客には無縁のようです。
宝殿駅かられ1時間半ほど歩いて登山口に到着。
師匠の道案内は楽しい道だけど。半端ない道でした。
こんな鎖場もありでした。
遠くからも見えた毘沙門岩
岩の上の方には毘沙門さまがありました。
細い山道をくねくね歩いて城址に到着。
立派なお城だったみたい。
本丸跡
二の丸跡、米倉跡もあった。 紅葉も綺麗だった。
271mの三角点。ここからの景色は今日歩いたところが一望できる。
平荘湖も見えました。午前と午後の2部構成。無理かと思ったけど、足も攣ったけど歩けてよかった。仲間に感謝💕
忘れない
友の訃報を伝えてくれたお姉さんに電話を掛けた。一度連絡しようと思いながら彼女の最期を尋ねる心積りができなかった。
何を聞いても泣いてしまいそうで、お姉さんの悲しみを深めることになりそうで、コロナ騒ぎをいい事になにもしなかった。
8月になってお盆が近づいてきた。彼女を迎えてあげようと思った。
思い切ってダイヤルをして、答えてくださった声は彼女ととてもよく似ていた。
急な発病と進行、コロナのせいでお見舞いもままならなかったそうだ。ひとりで病気と闘っていた、いつも前向きな彼女が車椅子で病棟の「エレベーターの扉の前で次に扉が開いたら姉に会えると思って待っていた」と聞いた時は胸が潰れそうだった。
早すぎる、急すぎる、悔しい、もっともっと一緒に歳を重ねていきたかった。
あなたを思い出すとき、あなたがそばにいるように感じる時がある。
些細な会話も忘れない。思い出は大切に胸にたたみ込んで次に会える時までもっている。
また、サボってしまった。
もう、マスクも要らないかなと思いながらも申し込んでました。
シャープのマスク届きました。
昨今の感染者数の増加は夏から秋に向けて心配の種です。買っておいて良かったのかも。
SHARPと書いてある文字が正しく読める方が表だそうです。
出番のない事を願います。
ぬかた園地のあじさい
ぬかた園地の紫陽花を見てきました。
友人の仕事場です。2年前に初めて訪れました。その時は満開の時期を見定めての訪問でした。あれいじょの紫陽花はまだ見たことはありません。
今年は見頃より少し早いと言うことでしたが、メンバーの揃う日にいってきました。
平岡公園駐車場に車を停めて山道を歩きます。少し行くと大阪を一望する展望台に。
かなり急な山道を2時間、ほととぎすの声やウグイスの声を聞きながら歩きます。山ガールのグループと抜きつ抜かれつ歩きました。
紫陽花にはそれぞれ名前があるのですが覚えたつもりでも帰って来たら忘れています。
紅額紫陽花
ロシタ
濃い小豆色が印象的でした。
七段花 シーボルトがオランダに持ち帰った日本の紫陽花の原種だとか。
こんな小さなバッタもいました。
仲間と歩いて紫陽花を楽しむ。自粛続きの日の息抜きでした。
帰り道で8mもある虫取り網を持つ人達にあいました。
時間は4時頃。
オオムラサキを捕獲するそうです。
「オオムラサキだと見分けられるのですか?」と尋ねると、この時間にその高さを飛ぶのはオオムラサキだけだとの答えが。
歩いてこその出会いでした。
御室
仁和寺の八十八ヶ所をお参りしてきた。
友の訃報からまだ立ち直れない。
抜けるよう青空が友との思い出と重なった。晴れの日も、雨の日も一緒に歩いた。爽やかな風が吹くと二人で一緒に歩いている気がした。
お砂踏みの札所を巡る、手を合わせる、ご真言を唱える。
お堂の中の観音様を拝見する。
面長なお顔だちの仏様を見ると彼女に見えて涙がでてくる。
手を合わせながら病気の苦しみから解放された事に気づき、今は穏やかになったねと話しかける。
お堂の前で手を合わす度に話しかける。彼女か仏様か誰にだろう。そのうち彼女とまた会えますようにと祈っている。
少し心が解れた気がした。
歩いているときにウォーキングの仲間と出会った。お参りを終えた時、私を待っていてくれた仲間がいた。自分が生かされている事に気づいた。
これからも彼女の事を思い、声を掛けてくれる友を思い、私らしく生きて行かなければと思わされた。
久しぶりにメールが来た
親しくしている同級生からメールが来た。
開けてみて驚いた。彼女のお姉さんからだった。
5/18に亡くなったとある。2年前から癌を患い抗がん剤治療をしていたとあった。
思いもかけない知らせだった。
5年前に学年同窓会を開いた。その前2年の月日をかけて名簿作成から始まった作業。彼女と一緒に関わっていた。
40年以上の空白があったけれど、その後は一緒にウォーキングをしたり、製本のお稽古に通ったり、同級生の気楽さで仲良くしていた。
写真を撮るのが上手でクラス会の写真をいつも担当してくれていた、彼女のFBは今見返しても素敵な写真が載っている。
最後のメールは1月24日「暖かくなったらランチしましょう」で結ばれている。
その後届いたメールが訃報だった。
さみしい。ざんねん。くやしい。