雨の奥明日香

「奥明日香・飛鳥川源流の里をたっぷり歩く」というイベント。
梅雨入りの上に台風発生と言う天候に見舞われた。
にもかかわらず、と言うか雨をも蹴散らし踏破してきた。

飛鳥と明日香の違いを伺う事から始まった。
高市と阪合と飛鳥村の三村合併の時に古来歌に詠まれる事の多かった明日香の文字が充てられて今の明日香村になったそうだ。

ボランティアガイドさんと歩く飛鳥川沿いの道は豊かな里山の道である。
次々に草木の名前や言われを教えてくださる。
雨でなければ、聞き取りメモも写真もと欲張れたのだが・・

出来る限りの記憶を頼りに(iPhoneのメモとカメラのおかげ!)

からむし(麻苧)
からむしとは幹蒸しである。
昔茎を蒸して繊維にして織り物にしたそうだ。
ふくらすずめと言う我の幼虫がこの葉をこのんで食べ、食べられた葉はレースのようになると言うのも織り物になる草らしい。

やぶまお
からむしと似ているが別物。
葉のつき方が左右の茎の長さが必ず違っていて、陽の光をまんべんなく受け取る植物の知恵を教えてもらった。

蜜柑の花
明日香のミカンは地産地消
さわやかな甘いかおりが一面に漂っていた。

いたちはぎ
萩の葉とよく似ているが花は萩のように楚々とはしていない。

川本邸
1855年に出来た家が現在も住まわれている。
多少の手直し(サッシ窓など)はあるものの立派なお屋敷である。
我が家など築70年、もっとぼろ屋である。
因みに1855年はペリーが来航した年だそうだ。

飛鳥川には自然の地形を生かした滝がいたるところにある。

滝のあるところ必ずと言っていいほど「いで」(井出と書くのだと思う)がある。
土嚢の積んである横が水の取り入れ口。
ここも右側の溝が「いで」である。
この「いで」は田畑を潤しこの里に豊かな恵みをもたらす。奥明日香の里
田植えは来月中ごろだそうで今は田起こしや早苗づくりがなされていた。

人々は飛鳥川と一緒に生きて来た。
川に綱を渡す神事が今も毎年1月にあるそうだ。
男綱は神式、女綱は仏式という。
朝から村人総出でもちわらを打って綱をない川に掛けるのだそうだ。
男綱

女綱

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社
「あすかがわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ」
日本一長い名前の神社だそうだ。

午前の行程の最後は「かやのもり」
奥明日香の3つの集落のひとつである。

この道
昔は吉野へ抜ける街道筋
大海人皇子持統天皇もこの道を抜けて吉野へ行ったのだろうと、壬申の乱が今も語られる地である。

ここで受けたもてなし。
雨の中、村の人はテントを立てて、食事の接待をしてくれた。

野草のてんぷら

古米の炊き込みご飯
飛鳥なべ(牛乳仕立てのお汁)

奈良のいちご
甘かった!

この後入谷(にゅうだに)を目指す。
雨のふりがひどくなり、写真は断念。
解説によると「天気の良い日は金剛、葛城、二上の山々が見渡せる絶景のビュースポットだそうだ。

雨のおかげで古人が見たであろう、霧にうもれた山々の影と木々の梢。
1400年変わらぬ同じ自然の中にいることが出来た。


飛び石

「明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも」 万葉集

古人の渡った飛び石と耕運機の渡るコンクリートの橋が同じ景色の中にあった。