ドキドキの観光 後半戦

娘のメールを見てから、その後のスケジュールの変更を余儀なくされました。
この日のスケジュールは地図を何度も見て、道順も考えて、ほとんど記憶して、私としてはパーフェクトだったんですけどね。

まずはお昼もだいぶ過ぎていたので、腹ごしらえ。
やってみたかったこと、パリの人は歩きながらパンを食べています。
行列の出来ていたパン屋さんへ入ってパンを買いました。
パリのパン屋さんは日本のようにトレーにパンを選ぶなんてことはしません。
全て対面販売。
買う品を考えていると、冷たい視線を感じます。
「パン・オ・レザンとクロワッサン」(フランス語の単語を並べて、指は1本)
パンを食べながら歩いていると、年配のご婦人が「ロダン美術館はどこ?」と尋ねられました。
たった今出てきたろことですから自信をもって答えられました(「トゥドワ」といって指で示す)
なんだか言葉が通じた気分(単語とゼスチャーですけどね)で気をよくして地図を確かめました。
まずはリュクサンブール公園を目指しました。
子供がヨットを池に浮かべている風景がとても素敵で私の思い入れのパリです。

歩いているとこんな標識をよく見ました。
歴史的建造物の説明のようです。

パリも第2次世界大戦の時に美しい町を壊さないようにナチスの将校が指示したそうです。
リュクサンブール公園に到着。

何故か公園の中に体重計。
誰が測るのでしょうね。

リュクサンブール宮殿
フランス元老院の議事堂だったそうです。
残念ながら中には入れませんでした。

私のお気に入りのパリ。
子供がヨットで遊んでいる池も冬で、しかも雨となるとヨット遊びをしている子は一人もいませんでした。
でも人影はちらほら。公園の好きな人たちがいました。
冬のパリの公園はどこも春を迎える準備のために、養生中立ち入り禁止の柵がしてあります。
寒々とした公園はちょっと残念でした。
おまけに雨まで降りだして、不安が広がりました。歩いて移動することしか考えてなかったからです。
前に娘が「ここの近くからバスが出てるから、バスでリュクサンブール公園まで行けば?」と言っていたことを思い出しました。
でも、どのバスに乗ればいいのかまでは、覚えていませんでした。
まずしたことは、地下鉄の駅を探す。
地下鉄の最寄り駅は覚えています。
見つけた地下鉄の駅からは最寄りまで2回は乗り換えなくてはいけませんでした(私の度胸では1回の乗り換えが限度)
やはりバス!と、思っていたところに「ヌイイ」と書かれたバスが通りました。
ヌイイは娘の家からも歩いて行けるところです(あのバスに乗れば近くまで帰れる)82番のバスでした。

それからバス停を探し、82系統のルートを確認(知っている地名があるか探しました)ポート・マイヨを見つけました。
このバスに乗れば帰れる(だろう)と思うとホッとしました。
それからが身振り手振りのコミュニケーション開始。
バス停で「私はポート・マイヨに行きたい。このバスでいいか?」指さしで質問。
若いパリジェンヌはにこやかに「行きますよ」と答えてくれた。
「私は切符を買いたい。バスの中で買えるか?」(丸暗記の会話集のフレーズで質問、バス?は語尾を上げて質問に)
彼女の答えは「TABACで買うか、地下鉄の券売機で買える」ということでした。(私が理解できたのはTABACとメトロ)
安易だろうと思って地下鉄の券売機に切符を買いに行きました。
お金は一番最後に投入することだけは娘から聞いていました。
まず、切符を買うかで緑のボタン。(最初からカーソルがそこにあった)
次、どの切符を買うか?(私の買うのは1回きりの大人の券)カーソルを移動したいが移動する矢印ボタンがない。
完全に行き詰まりのところへ、ご婦人が登場!
地獄に仏!
「私は切符を一枚買いたい。私は分からない」と何とかフランス語で伝えた。
婦人はちょっと考えながらも、切符を1枚買えるようにしてくれて、私は2ユーロ投入して切符を買うことが出来た。
「メルシー・ボクゥ」を何度連発したことか。
私の喜びはご婦人にも伝わったみたいで、笑顔で答えてくれました。

バスは私がその日あるいた道を逆になぞるようにポート・マイヨにつきました。
バスの中からエッフェル塔が見え、凱旋門が見えてようやく我が家に戻った気がしました。
おばあちゃんのひとり歩き。
娘に「82番。そう。92番に乗ったらそこのバス停についたのに」
92番でした、でも82番に乗るまでの「あっ!ヌイイ!」とか「バス停発見」とか「メルシー・ボクゥの連発」とか一人でワクワク、ドキドキの時間。
忘れなれない1日になりました。