備中高梁散策

珍しく夫が平日に休めた。
当然お出掛けである、しかも少し遠出。
2人が前から行きたかった「備中高梁」古い街並みの残る町である。
その位の予備知識しか持たずに行き当たりばったりのお出掛けである。
新大阪から新幹線で岡山→伯備線備中高梁、ここまではトントン拍子で約1時間半。
駅の観光案内所で案内を乞う事に。
「高梁テクテクマップ」には「備中松山城(日本一標高の高い所にあるお城)」とか「武家屋敷」「キリスト教会(新島襄も布教に訪れた教会)」とか「頼久寺・庭園(小堀遠州作)」とかあったのだが、JRの駅で見たポスター「ベンガラの町・備中吹屋」の事を尋ねた。
「50分のバスがそこから出るけど、吹屋へ行くと後はどこへも行けんよ」
かなり交通の便が悪いのだろう。
古い街並みが残っているのは捨てがたい、行ってみることにした。
バスに乗ること小1時間。
バスの運転手さんも親切で「最終のバスは3時40分だからね。それに乗らんと帰れんよ」
バスを降りたらこの景色であった。
「標高550mの山嶺に塗込造りベンガラ格子の堂々たる町屋が並ぶ」
パンフレットの文字がそのままここにあった。
江戸時代から明治にかけて銅山とベンガラで栄えた町だそうだ。

立派な瓦屋根
小高い所から見た吹屋の町は立派な甍が続いていた。
石州瓦ではないかと思ったら、その通り!
この町の豊かさが分かる。

消防分団だってベンガラの壁
中の消防自動車をどうやって出すの??
左側の格子のある壁が右の入口までスライドしてしまう造りになっていた。
なるほどである。

旧片山家住宅
片山家はベンガラの製造販売を手掛けた200年続く商家。
一番の驚きは主人夫婦の寝室と書かれた部屋。
まるで隠し部屋のような所、係の人に尋ねたところ「商売が繁盛して忙しいくて、財産もあり気の休まることがなかったのではないだろうか。そのためにあのような人の目に触れないような部屋があるのでは」
生々しい歴史を見せてもらった。

吹屋小学校
郷土館の人に「小学校にも行ってくださいね」と言われた吹屋小学校は明治42年建設。
本館は今も現役。
プールが今風、先生の声がしていた。
「学校の中に入らないでください。子供を写さないでください」のお願いもあった。


笹畝坑道
吹屋はベンガラの町、銅山の町、ここに来てこの坑道を知った。
行ってみなくては。
係のおじさん「歩いてきたかね。中は涼しいよ」
ところが中は涼しいけれど、真っ暗!
入口まで戻って係のおじさんに「暗くて見えないんですけど、懐中電灯か何か・・」ここまで言いかけたら「ああ、、忘れとった」坑道の中の電気がともった。
平日は省エネ中だったらしい。
坑道は山の中を上下に横にと広がっていた。
全盛期トロッコの全長は25キロにもなったと。

広兼邸
笹畝坑道でここまでの道をたずねたら2,30分道なりに下って行けば行けると教えられてひたすら急な坂道を下ってたどり着いた広兼邸。
石垣の上に建つ屋敷はお城のようでもある。
この屋敷は裏に岩山が迫っている。
岩山を削って、その石を積み上げた、地産地消の石垣だそうだ。
岩山から流れ出る水は今もこの屋敷の生活水になっているという。
このお屋敷も庄屋でベンガラを商った広兼氏の財力を伝えている。
映画「八つ墓村」のロケ地でもある。

宇治のバス停
広兼邸で「バスに乗りたい」とバス停までの道を聞いた。
「歩いたことは無いけど4キロほどあるかな。バスは見掛けたら手をあげれば止まってくれるから」と教わって、またまた山道を下ることに。
すれ違う車もなく、畑で作業している人は会釈を送ってくれる。
なんとかバス停まで着いた時、先に待っていた少年に「こんにちは」と挨拶してもっらた。
嬉しくなったのでこっそり記念写真。
吹屋から宇治まで地元の人は歩かないのだろう、私たちはおおよそ13キロほどを歩いたことになる。
歩いていて気がついたのは空気に香りがあるのだ。
田舎のにおいとも違うとてもいい香り。香木のような香りと言えばいいのか・・
心やさしくなる空気がこの町にはあるのかもしれない。