平安京右京三条一坊六町跡現地説明会

新聞に出土品から藤原良相邸跡であることが裏付けられたと載っていた。
発掘現場は我が家から歩いて20分もかからない。
翌日現地説明会があると聞いた。
行かねば!
会場に着く。二条駅のすぐ横である。
掘り出されて土が土手のようになっていて、小高い所から見下ろせる。初めて見た発掘現場の風景である。

説明を聞く。
写真中央の真ん中より少し奥が池の跡。ほぼ長方形の形をした池だったそうだ。
池の形から私的な空間だったことが推測され、池の中にある柱の跡から、池の上に乗りだすような形で建造物のあったことがわかるそうだ。
また、池の底の状態や溝の跡などからこの池はもう少し西にある大きな池(洲浜もある池)に水をおくっていたこともわかったそうだ。
説明を聞くとこれが溝が、これが柱の跡かと分かるので色々想像できる。

池から出て来た墨書のある土器。
池の中からたくさんの物が出て来たそうで、この屋敷が壊される時に、池に投げ捨てられた什器ではないかと言う事だった。
「三条院釣殿高杯」とはっきり読むことが出来た。
この文字が良相邸であることを示したのだそうだ。

水晶の碁石
これも新聞で見たとおりだった。
正倉院御物でも碁石がある。当時の高貴な人々の暮らしが垣間見える。

釉薬のかかった陶器
線描で花柄が描かれている。
一度火を加えた土(焼き物)は地中に埋まってもその形を変えることはないので色々なのもが出土してくる。
金属や木製品は地中での状態がよほど整わないと土に帰ってしまって出土しないそうだ。

素焼の器である。
奥の方の全形を留めている器は手ひねりで作った時の指の動きがわかる跡がある。
説明を聞いてからよくよく見ると確かに指の動きがわかるような跡がある。
物言わぬモノ達が、多くの事を語っているのである。

この地は大学のキャンパスになる。
1200年近い眠りのあと、私たちの前に現れた遺跡はまた永い眠りにつく。
元の姿は記録と言う学問の中だけで生き続ける。