千本通りを北へ

「こんな寒い日に」と言われるのを尻目に夫婦でウォーキング。
夫の発案で千本通りを北へ鷹ヶ峰まで行くことに。
私の知る鷹ヶ峰は「光悦寺」くらい。
夫の知る鷹ヶ峰は学生時代のクラブのランニングコース。
二人の認識はこの程度。
千本通りは木材店が並ぶ通りでわが家の近くからかなり北の方まで材木店を見ることが出来る。
千本商店街と呼ばれるところで見つけたのは大八車。
この車はどうやって動かすのだろう?
自転車で曳くか?バイクで曳くか?
夫曰く「人が押すに決まってるやろ」
そうかなぁ・・

等など、通りすがりで目にするものに一つ一つ反応しているので時間がかかって仕方がない。

やっと鷹ヶ峰の地名が出てくるところあたりに到着。
わが家から5キロ強の所まで来た。

鷹ヶ峰御土居
秀吉が作った御土居は全長23キロで洛中をぐるりと囲んでいた。
その北側の名残である。
御土居の後ろの山が鷹ヶ峰

鷹ヶ峰と言えば「光悦寺」というのが私の記憶。
光悦寺を目指す。

光悦寺
本阿弥光悦徳川家康によって与えられ、屋敷を構えた所である。
ここに光悦一族の者が移り住み、工芸集落があったと言う。
光悦垣
今は季節外れで訪れる人もないが紅葉の頃は観光客で賑わうそうだ。

光悦翁墓所
広い敷地うちの木々の中にあった。

鷹ヶ峰三山
光悦寺からも鷹ヶ峰三山を望むことが出来た。
左から鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰と連なっていた。
京都市内を見渡すことのできる高さだ。

ここからは家を目指して鷹ヶ峰を下ることになる。

この急な坂
夫が高校生の頃、クラブのロードワークでこの坂をほぼ毎日15往復したのだそうだ。
「今は言わないけどシゴキだね」
「あの頃は何度もたたかれたさ」
今話題になっている体育系のクラブと同じことのようだ。
でも夫は今でもその先生は好きだし交流もある。
指導と体罰。愛情と信頼。
ひとまとめにしては解決しないと思う。


この道がとても素敵で踏み込んでみたかったが、もっと時候の良い時に行くことにして写真だけ。
長坂道も初めて聞いたので帰ってからお勉強。
今の周山街道が出来る前の古道で、若狭へ至る道で鯖街道の1つだったらしい。
もう少し詳しく調べて、ゆっくり歩いてみたい。

帰りは下り坂、夫の若かりし頃のロードワークの道をたどりながら家路に着いた。

本日のお土産
御土居
豆餅であるが、餅は羽二重餅
柔らかくて、いくつでも食べれる気がするお餅でした。