双子の古墳

新聞に載った「双子のように酷似した古墳」の話。
神戸の西求女塚古墳と向日市の元稲荷古墳は墳丘の細部で多少の違いはあるものの、同じモデルプランのもとに造られた同形同大の前方後方墳ではなかったか。
こんな新聞記事には現地説明会の案内があります。
今回もわが家からさほど遠いところではないので行ってきました。

古墳の現地説明会ってどんなだろうと興味津津。
古墳といえば巨大なものと思っています。
どこをどお見せてくれるのだろうとワクワクして出かけました。

古墳は向日神社を抜けた勝山公園にありました。
こんな感じの丘です。
周りには木々が茂り、後方には住宅地が広がっています。
勿論1700年前は丘陵とそれに続く尾根が伸びていたそうです。
「決して眺めの良いところではありません」と注意されました。
何故、そこに墳墓があるのか。
おそらく水路である桂川から見える姿に重きを置いたのだろうと・・
古墳は埋葬された人の趣味ではなく、その時代の形式にのっとって造られていた。
双子の古墳は当時の情報の共有や、首長の力や地位などたくさんの事を伝えているそうです。

後方部の調査区
基底石、葺石は盛り土をして行く時に使われた石ですが、長い時間のうちに斜面から転がり落ちて墳墓の姿が損なわれて行ったそうです。

木の根を避けての発掘
ここは公園ですから、木々を傷めることのないように根っこを避けて土を掘り調査されていました。

後方部はその中心に竪穴式石室があったそうです。
1960年に最初の調査がなされ、そのあと水道の施設が建ちました。
今も無粋な四角い建物が残っていました。

前方部 堀切り状の遺構
ここは前方部(埴輪樹立区画)の端。
築成のための土採りの跡、お墓と丘陵とを区別する溝ではなかったかと。
ここに水のあった跡があればすごいことなんだそうです。
でも、目下その痕跡はないそうです。

私の目を引いたのは写真の右にあるコンクリート製のベンチです。
公園のモノはそのままになんですね。
手前の木の根っこも、ここまで掘りだされているのにはびっくりでした。

物言わぬ地面の中にある言葉を調査の先生方は聞きとります。
写真の中にある台形の土、何層かの色に分かれています。
上の赤茶っぽいところは公園のための造成の盛り土。
その下のこげ茶はその少し前の時代の土。
その下の少し色の変わった所から埴輪の破片が出土。
また、ベンチの下の地層には畑の畝まで残っていました。

発掘底部の土は1700年前の土。
その土の上に私はじかに立ったのです。

現地説明会の後「スライドで見る乙訓の発掘」という講演に参加しました。
京都市向日市大山崎町長岡京市の4市町村の古墳発掘調査の説明です。
3世紀には今のような行政区はありません。
時代と共に栄え、衰えを繰り返しながら集落があり、首長墓があった。
行政の線引で同じ墳墓も縦割りにされてしまう、変な一面も見てきました。
4時のシンデレラは最後まで聴講できませんでしたが、古墳時代がとても魅力的に迫ってきた1日でした。