GW顛末書

GWは2日の義母の13回忌の準備からスタートしました。
掃除。
宿泊する義弟家族用の布団や法事用の座布団干し。
買い物。

13回忌は大勢のお参りをいただいて、つつがなく終了。
里帰りの義弟家族も、いくつかのハプニングを提供してくれながらも無事自宅へ。

最期の1日は「幻の大仏鉄道ウォーク」

大仏鉄道という鉄道が奈良を走っていたと知り、その廃線跡が今も残っていると知ってから、歩いてみたいと思い続けていました。

GWの予定もその日にならないとわからない状況下で、6日は何としても出かけたいと全ての用事をこなしました。

7時過ぎに家を出て、9時半集合の奈良駅へ。

ついてびっくり、人・人・人・・
総勢350余の参加だったそうです。

集団歩行は2列になったり1列になったり、交差点も一度では渡れないことも。
そのおかげで、ゆっくり歩行。
大仏鉄道の遺構はしっかり見学できました。


大仏駅跡地は記念公園になっていました。
当時の写真やイラストで説明を受けました。
奈良の大仏様の最寄り駅に思いを馳せます。


黒髪山トンネル跡
道路が線路跡、その後道幅の拡張に伴い、山が削られてしまったそうです。
左右の傾斜地が山の名残、間を結ぶ橋がトンネルの上部と考えて黒髪山トンネルの当時の姿を想像しました。


鹿川隧道
隧道とは鉄道の下を用水路や人の通る道として作られたものだそうです。
ここは用水路として今も現役だとか。
何といっても350余名ですから見学するのもこの混雑。
隧道は写真奥のトンネル。


松谷川隧道
違う色のレンガが交互に積んでありました。


大仏鉄道せんべい
昼食時に差し入れていただきました。
美味しいおせんべいでした。
大仏鉄道が開業したのは明治31年、9.9キロの路線。
そしてわずか9年でその幕を下ろしたそうです。


赤橋
レンガ造りの橋台
現役の生活道路です。

明治31年には鉄骨はなかったそうです。
赤橋は石積みとレンガ造り。
橋台にかけられた橋も石。木に見えるところもありましたが・・


梶ケ谷隧道
アーチ部分はレンガ、下は石積み。
ここは中を通っていきました。


この道、かつては線路があり汽車が走っていました。


里山の中のこんな道を歩いていきました。

大仏鉄道が当時、山の中の勾配を走る鉄道だったことが実感できます。


鹿背山橋台
橋台跡は鬱蒼とした山の中のちょっとした古代遺跡のようですが、100年ほど前の最新鋭の旅客鉄道だったんですよね。


小アバット

大アバット
橋台のことを専門用語でそう呼ぶのだそうです。
ここはどちらも、手前が大仏鉄道の橋台、後ろにとおっているのが現在の関西線の線路です。
新しい線路にその役目を譲った大仏鉄道ですが、真紅の蒸気機関車が走っていたそうです。
機関車トーマスに似た列車だったかも。


ランプ小屋のプレート
明治30年に建てられたことを示しています。

ランプ小屋
レンガ造りのランプ小屋は照明のための油を保管していたところだそうです。
真紅の蒸気機関車はその照明にランプを灯して9.9キロの道のりを走っていたのですね。

心惹かれていた大仏鉄道を、心ゆくまで楽しめた13キロのウォーキングでした。
350余名の参加者を誘導してしてくださった関係者の方々に感謝です。

GW前半の気忙しさ、中盤の気疲れのする嫁業も、最後の1日楽しいウォーキングでリフレッシュ。
終わり良ければ総て良しのGWでした。