比叡山

つれあいは高校生の頃、比叡山の山頂で夏休み中アルバイトをしていた。
ケーブルとロープウェイを定期で通っていたというのが自慢だった。
確かに面白いアルバイトだ。
比叡山山頂は848m。
2人で辿ってみた。
ケーブル、ロープウェイを乗り継いで降りた所は「ガーデンミュージアム比叡」
およそ昔日の面影には程遠い、イングリッシュガーデンが出来ていた。
「お化け屋敷は?」
「展望台は?」
折角来たのだから中に入った。
ありました!
円形の展望台。
昔は最上階は回転式のフロアだったはずだが・・
わずかに残る思い出の建物を見て、長居は無用。
「横川(よかわ)に行ってみたい」(私の思いつき)
比叡山山頂からのシャトルバスに乗るが、横川まではいかないバスだった。
とりあえず「延暦寺バスターミナル」で降りた。
比叡山延暦寺、1200年の歴史を持つ天台宗の総本山だ。
大講堂
法然親鸞栄西道元日蓮
名だたる名僧がこの地で修業した。

鐘楼
年末に日本中に映し出される鐘楼である。

根本中堂
伝教大師自作の薬師如来がある。
その前には1200年消えずに灯された「不滅の法灯」があった。
ここの仏様は参拝者の目と仏さまの目が合うと言われた。
仏様は誰にも平等に身近におわすのだ。

文殊
根本中堂の前に急な階段がある。
その階段を上った上にある。
1642年に徳川家光の再建とあった。
ここまでがごくありきたりな比叡山延暦寺だった。
その後のデタラメがいけなかった。
比叡山の僧兵は坂本まで下って人々を困らせたんだってよ」
大津市史の講演で聞きかじったことだ。
「ここから坂本まで降りれるんだよね」
尋ねると「道なりに40分ほどですよ」
40分なら歩ける。

少し下ると道は荒れはじめた。
「ここを比叡山の僧兵はあるいたんやろか?」
「無茶苦茶急な坂やね」

こうなると殆ど土砂崩れの跡である。
ただ不思議なことにところどころに舗装の後のように固まったバラスが転がっている。
鉄骨が地面から突き出ているところも。

花摘み堂
少し道がなだらかになったところで見つけた標識。
「こんなところへお花摘みに来たんやろか?」
他の説明書きは無いので分からない。

琵琶湖が見えた。

坂本についた。
根本中堂まで二十五丁の標識。
一丁108m 2,7キロ

坂本駅の近くでかき氷を食べた。
そこのご主人に聞いたこと。
私たちが降りて来た道は「戦後進駐軍が電波塔を建てるために舗装した」道だそうだ。
その当時は「重輪と呼ばれたジープが走っていた」らしい。
坂が急なのでその後は役に立たず荒れ放題の道になったらしい。
舗装の後も鉄骨も納得がいった。
この道が整備されることは無いのだろうか?
1200年と65年の歴史があった。