年に1度は訪れる奈良である。
今年は「まほろばツーデーウォーク」に参加した。

7:45の集合時間を言い訳にして前日からの奈良である。
奈良に来ると必ずと言っていいほど会いたくなる友がいる。
彼女を誘って「ランチ」「法隆寺散策」と盛りだくさんの予定で出かけた。

まず、最初の難儀が降りかかる。
乗った電車が人身事故の影響で途中の駅で降ろされてしまった。
訳も分からず、見知らぬ駅で列車の運転再開を待つ。

そこで素敵な出会い、その1である。
一緒に待っていた若い女性から声をかけられた。
彼女もまた約束の時間があり、不安を抱えて駅のホームにいた。
「どうすればいいのでしょうね?」等と雑談を始める。
運転再開後も隣り合わせに腰かけてお話をする。
彼女は中国人で日本に来て7年、流暢な日本語を話す。
そして日本に来た訳を聞くと難しい話になったが「言語」の研究者であった。
今の中国では使わなくなってしまった漢字の読み(発音)について話してもらった。
遣唐使や、遣隋使の時代以前に中国から朝鮮半島を伝わって日本に伝わった漢字の読み方が中国ではなく、日本に残っているという興味深い話。
彼女と隣り合わせにならなければこんな話もしなかったであろうと思うと列車事故もちょっとした幸運に変化した。

小1時間の遅れで友と合流、さっそくランチである。

彼女が見つけておいてくれたお店は「玄米庵」
玄米を中心にした精進料理である。
かまどで炊いた玄米ご飯、焼き立ての玄米もち。
大豆のお肉風などなど、手の込んだヘルシーなお料理。
作らずにゆっくり味わえる幸せを満喫。



予定通り法隆寺散策へと進む。
電車で行くつもりが、友が車を用意してくれた。
車の中でもおしゃべりは続き、子供のころの遠足以来?の
法隆寺である。

女同士の話はいつもどこか突飛なところに飛んでいく。
郡山城に行ってみたい」という私のわがままを友はかなえてくれた。
夕暮れが近かったのでお城すべてを見ることはかなわなかったが、郡山城が柳沢吉安公ゆかりのお城であったとは一つ勉強させてもらった。

いよいよまほろばウォークの初日。

せんと君に見送られて30キロウォークの出発です。



橿原神宮で出発のご挨拶。
多くの神官や巫女さんの姿にこの神社の立派さを再認識。


土佐街道と名付けられた道。
実に心地よい道をあるく。
しかし、つぎなる難儀が・・・
コースマップの確認が甘かったといえばそれまで。
「ここから先トイレなし」を見落としていた。
15キロを過ぎたあたりから「トイレないかな?」状態。
コースは高取城址へ向かう上り坂に入る。
かなりの辛抱の結果やっと仮設のような小さなトイレに到着。
かなり体力の消耗をしたのだと思う。

細い山道ですれ違うハイカーを避けた。
その瞬間、右足に痙攣が・・
情けないことに足が攣ったのである。
とっさの応急処置に足先をまげてうずくまる。
痛さを堪えて数分、後ろから来たベテランウォーカーの男性「足攣ったんか?ちょっとまちや」と消炎軟膏をカバンから出してくれた。
「本人しかわからんから、自分でしっかり塗りなさい。反対の足もこれから無理するから塗っておきなさい」まさに仏のようであった。
おかげでしばらくの休憩の後、また歩けるようになった。
この間多くのウォーカーに声をかけてもらい、力をもらい回復した。

そして「国見櫓」からのこの眺めである。

大和盆地を眼下に、写真には納まりきれなかったが遠く葛城山生駒山、右端には比叡山まで。
香久山・耳成山畝傍山
二上山の横に大阪のビル群も白く輝いて見えた。
これほどの景色はめったに見られないということであった。
難儀の後の幸運である。

その後は快調に歩みを進められた。

山の中にひっそりとたたずむ「猿石」

「酒船石」
なぜこのような山の中に置かれたのか?


飛鳥の時代から急に江戸時代?
高取お城まつりのイベントで時代行列があるらしい。
出番待ちのお姫様とタイムトラベル風に一枚。


「鬼の雪隠」とか「鬼の俎」とか呼ばれる巨石

「亀石」

「橘寺」聖徳太子誕生の寺。

1日目のゴールが近づく。

大騒ぎした足も景色の美しさ、お仲間の楽しさに何事もなく2時50分無事にゴールしました。

2日目はまた後日。